稲葉一鉄について

稲葉一鉄は、戦国時代の武将。

斎藤氏、織田氏、豊臣氏の家臣。

安藤守就、氏家直元と併せて西美濃三人衆と併称された。

永正12年に美濃の国人・稲葉通則の六男として美濃池田郡本郷城に生まれる。

幼少時に崇福寺で僧侶となり快川紹喜の下で学ぶ。

大永5年に父と5人の兄達全員が牧田の戦いで浅井亮政と戦い戦死したため、還俗して塩塵と叔父・稲葉忠通の後見の下に家督と曽根城を継ぐ。

土岐・斎藤氏時代

はじめ土岐頼芸に、次いで美濃を治めた斎藤道三に仕え、西美濃三人衆の1人として活躍する。

永禄10年に三人衆と連盟で斉藤氏の配下から離脱し、織田信長に組している。

織田信長時代

永禄11年、信長の上洛戦に参加する。

本能寺の変

天正10年、明智光秀が本能寺の変を起こし信長が横死。

一鉄は岐阜城に甥の斎藤利堯を擁立し、光秀に対して独立を保とうと画策する。

かつて信長に追放され稲葉領内に滞在していた安藤守就の一族が、復権を目指して光秀と手を組む。

旧領の北方城を奪還し、本田城を攻撃してきたため交戦、勝利した。

豊臣秀吉時代

天正10年、織田信孝が岐阜城を相続し、美濃は支配下に置かれるはずだったが、一鉄は信孝と対立を深める羽柴秀吉に従うようになる。

清水城について

1356年に林氏が清水山に築城。

1557年に稲葉一鉄が城を落とすと麓に移転し平城とする。

1579年に一鉄は嫡子・貞道に居城の曽根城を譲り自身は当城に入る。


その後、一鉄の庶子重通、重通の子・通重が城主となるが、通重は江戸幕府の不興を買って1608年に改易されてしまい、廃城となる。

現在は清水小学校となっており遺構が僅かに残る。

清水の町

昭和10年代の清水の町です。

城図

清水山城図です。

清水小学校

昭和30年ごろの清水小学校です。